J.C.ペニーの歴史――黄金律に導かれた百年の軌跡
20世紀初頭、アメリカ西部の小さな炭坑町で産声を上げたJ.C.ペニーは、一代で全米有数の小売チェーンへと成長した老舗デパートである。その歩みは、創業者ジェームス・キャッシュ・ペニーの掲げた「黄金律(ゴールデンルール)」の精神に始まり、ショッピングモール時代への適応、そして現代における苦境と再生への模索に至るまで、波乱に富んだ物語だ。本稿では、J.C.ペニーの120年超にわたる歴史を、創業から躍進、転換点、試練までストーリー仕立てでたどってみたい。
創業者ジェームス・キャッシュ・ペニーと「ゴールデンルールストア」の誕生(1902年)
ジェームス・キャッシュ・ペニー(James Cash Penney)は1875年、生真面目なバプティストの牧師を父にミズーリ州の農場で生まれ育った 。若き日のペニーは法律家を志したものの、父の急死で進学を断念し、高校卒業後に小売店で働き始める 。健康上の理由で西部コロラド州へ移った彼は1898年に食肉店を開業したが、取引先ホテルのコックに酒を贈る賄賂を拒んだため契約を失い、店は閉鎖に追い込まれた 。この苦い経験にもめげず、ペニーは地元の洋品店チェーン「ゴールデンルール・ストア」に店員として勤め、誠実な働きぶりで頭角を現すと1899年にはワイオミング州エバンストン店の店長に抜擢された 。
1902年、ペニーは「ゴールデンルール(黄金律)」を店名に掲げた自身初の店舗をワイオミング州ケメラーに開店する 。炭鉱で栄える人口1,000人程の小さな町で始めたこの店は、生活必需品を手頃な価格で提供し、開業初年度の売上高は2万8千ドル、純利益8千ドルを計上する成功を収めた 。ペニーは「他者を自分がしてほしいようにもてなす」という黄金律の信念のもと、現金掛け値なし(掛売りや企業発行の代用通貨は受け付けない)という方針を貫き 、顧客に対して正直で公平な商売を心がけた。この創業店の名に込められた精神は、まさに顧客第一主義を体現するペニーの経営哲学そのものだった 。
創業当初の理念:誠実な商売と顧客第一主義
ペニーは創業時から一貫して「正直で公平な商売」を信条とした。値引き交渉を廃し、全商品を「ワン・プライス」(誰にでも同一の公正価格)で提供する方針をとったが、これは当時の西部では斬新な試みだった 。また、販売では掛売りによる債権リスクを避け現金主義を貫いたため銀行家から不安視されたものの、この堅実策は創業店の成功で証明された 。ペニーは「優秀な従業員を育成し、品質の良い商品をできるだけ利幅を抑えて提供する」ことが顧客の信頼を得る道だと説いており 、顧客満足こそが商売の根幹という哲学を貫いた。そのモットー「公共の利益のために奉仕せよ…究極的に顧客を満足させよ(Serve the public…to its ultimate satisfaction)」は社是として掲げられ、のちにウォルマート創業者サム・ウォルトンが自身のオフィスに掲げたほどである 。
チェーンストアモデルの急成長と1000店舗突破(1920年代)
ペニーは徹底した顧客第一主義と独自のチェーン展開モデルを武器に、事業を急拡大させていく。1907年に共同経営者2人から全店舗の権益を買い取った彼は、各店の店長に新店舗開発の出資機会を与えるユニークな方式で、社員の士気を高めつつ出店攻勢をかけた 。訓練した店員を次の店長に据え、既存店の店長が新店舗の共同オーナーとなるこのモデルにより、店舗網はロッキー山脈地帯から全米へと急速に拡大する。1912年には早くも34店舗を展開し、1915年には83店舗、1917年には175店舗を数えるまでになった 。第一次大戦後の好景気に乗りチェーンは全国規模で成長を続け、1928年には店舗数がついに1,000店を突破する 。翌1929年には1,400店に達し 、J.C.ペニーは名実ともに全米有数の小売チェーンへと躍進した。
プライベートブランド戦略と主要ブランドの確立
全国チェーンへと膨張する中、J.C.ペニーは早くからプライベートブランド戦略にも注力した。メーカー品に頼らず自社開発ブランドで品質と価格を管理することで、顧客には低価格で安定した品質の商品を提供し、会社側は高い利益率を確保するという狙いである 。実際、この戦略は功を奏し、チェーンの成功を支える柱の一つとなった。当時の同社は作業着ブランド「ペイデー (Pay Day)」を自社ラインナップに持ち、第一次大戦中の1917年にはすでに同ブランドのオーバーオールを宣伝する広告が新聞に掲載されている 。1922年には最古参の自社ブランドとなるワークウェア「ビッグマック (Big Mac)」を発売 。さらに1927年には紳士用シャツのブランド「タウンクラフト (Towncraft)」を商標登録している 。そのほかBelle IsleやNation Wideといった生地ブランドや、婦人下着のLady Lyke、帽子のWaverlyなど、多彩なプライベートブランドが次々と投入された 。高品質・低価格を掲げたこれら自社ブランド商品は庶民の人気を博し、チェーン全体の売上拡大に大きく寄与した。
ショッピングモール時代への適応とGMSへの進化(1960年代)
第二次大戦後、アメリカの小売業は郊外型ショッピングモールの時代を迎え、J.C.ペニーも小さな街角の店舗から郊外モールのアンカーテナントとなる大型店へと進化していった。1962年、同社はウィスコンシン州の小売企業を買収し、その通信販売部門を取り込む形で初めてカタログによる通信販売事業に参入する 。翌1963年、自社名で初のカタログを発行し、全米8州の店舗にカタログ注文カウンターを設置して遅ればせながら通販網を整備した 。同じ1963年、ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のキング・オブ・プルシア・プラザにJ.C.ペニー初のフルライン(総合)百貨店をオープンする 。この店舗は従来より品揃えとサービスを大幅に拡充した大型店で、衣料品から家電・スポーツ用品・園芸道具まで扱う文字通りのゼネラル・マーチャンダイズ・ストア(GMS)の原型となり 、同社は以後このフォーマットを全米で展開していった。1960年代後半までに店舗には美容室やポートレート写真スタジオ、スナックバー、オートセンター(自動車整備工場)までも併設され 、郊外型ショッピングモールにおいて家族連れが一度に用事を済ませられる“一軒で何でも揃う店”としての地位を確立した。
百貨店業態へのシフト(1980年代)
1960〜70年代にかけて店舗数・売上とも順調に成長を続けたJ.C.ペニーだが、同業他社との競合や事業の複雑化に伴い、1980年代初頭に経営の転換点を迎えた。当時、同社は「巨大な大衆量販店」と「全国チェーンの百貨店」という二つの顔を持ち、アイデンティティが曖昧になりつつあった 。低価格だが利益率の低い家電・ハードウェア・自動車用品から高級志向のアパレルまで何でも扱う戦略は次第に非効率となり、収益力の足かせになっていたのである。そこで1983年、経営陣は思い切った業態再編に踏み切った。約10億ドルを投じて全国の店舗を改装し、売場をファッション衣料・ホームファニシング(家庭用品)・余暇関連商品に重点化する一方、従来の自動車整備サービス、家電、塗料・金物、園芸用品、生地売場などの部門からは大胆に撤退した 。これら廃止部門は当時年間15億ドルもの売上を占めていたが、低利益ゆえに同社の「百貨店」への脱皮を妨げていたと判断されたのである 。競合のシアーズやモンゴメリー・ウォードが総合量販的な路線を続ける中で、J.C.ペニーは収益性重視の百貨店業態へとかじを切った 。また本社を1980年代半ばにニューヨークからテキサス州ダラス郊外へ移転し、人件費や税制面でコスト削減を図った。こうした抜本策により収益力を回復した同社は、“ファッション重視の全国百貨店チェーン”として新たなスタートを切った。
競争激化と失速、経営再建の模索(1990〜2000年代)
こうして百貨店チェーンとして再出発したJ.C.ペニーだが、1990年代に入ると小売業界の競争は一段と激化した。低価格路線のウォルマートやターゲットといった大型ディスカウンターが台頭し、モール内ではギャップなど専門店が隆盛を極める中、中価格帯のJ.C.ペニーは板挟みの苦境に陥った 。折悪く1990年前後には景気後退も重なり、1990年度の小売売上高は前年の164億ドルから162億ドルへ微減、純利益は5億77百万ドルからわずか8千万ドルへと急落する事態に見舞われている 。しかしその後、自社開発の低価格ジーンズ「アリゾナ(Arizona)」ブランドが若者の支持を集めるなど起爆剤となり、1992年には創業90周年を祝うなか業績が回復に転じた 。
こうした中、同社は中長期的な成長戦略にも着手する。1996年には今後3年間で100店の新規出店と500店の改装に充てる21億ドル規模の投資計画を発表し、併せてドラッグストア大手のエッカード(Eckerd)を買収してヘルスケア分野にも乗り出した 。さらに1998年には小売業界でも先駆けとなる公式オンライン通販サイトを開設し、インターネット販売に参入している 。しかし多角化路線は思うような成果を生まなかった。期待されたドラッグストア事業は業績の足を引っ張り、2004年にエッカード部門を競合企業へ売却して撤退するに至った 。伝統の分厚い総合カタログも時代の波に抗せず発行頻度を縮小し、2010年にはついに百貨店型カタログ販売からの撤退を決断している 。店舗面でも低価格志向の顧客流出に歯止めがかからず、アマゾンに代表されるEコマースの台頭も逆風となった。2011年にはアップルストア立ち上げの実績で知られるロン・ジョンソン氏を新CEOに迎えて「値引きセール廃止」など大胆な改革に踏み切ったものの、この戦略は顧客離れと売上30%超の急減を招き失敗に終わった 。度重なる試行錯誤にもかかわらず、21世紀初頭のJ.C.ペニーは往年の勢いを取り戻すには至らなかったのである。
2020年の破産申請と再建計画
そんな中、2020年初頭からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックが最後の一撃となった。既に慢性的な売上低迷と約40億ドルの巨額負債に苦しんでいたJ.C.ペニーは、パンデミックによる店舗閉鎖の長期化が引き金となり、同年5月15日に連邦破産法第11章の適用を申請した 。全米で約850店を展開していた老舗百貨店チェーンが法的整理に追い込まれたのは、118年に及ぶ歴史の中でも初めてのことである。
経営破綻に際し、同社は既存の債権者との間で9億ドル規模のDIP(デット・イン・ポゼッション)ファイナンスによる資金提供を受けることで合意し、倒産処理中も店舗営業を継続した 。同時に、不要不採算店舗の段階的閉鎖を進める再建計画を策定し、当初約200店舗を恒久閉鎖する方針を発表している 。これは店舗数にして全体の2割強に相当し、ピーク時に1,600店以上を誇ったチェーンは約650店規模へと大幅に縮小する見通しであった 。最終的に2020年末までにJ.C.ペニーの事業は裁判所管理下でショッピングモール運営大手2社に買収される形で再建案がまとまり 、債務を削減した新体制のもとで再出発を切った。黄金律を社是に掲げた創業から1世紀余り――J.C.ペニーの挑戦は、苦難を乗り越え新たな時代へと続いている。